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【書評】岸田秀『ものぐさ社会論―岸田秀対談集』青土社

岸田秀の本は、読むたびにかなりの刺激をうける。とくに歴史や社会を精神分析の方法で分析する議論には、読むたびに刺激される。したがって、対談集のなかでも、アメリカとの関係から日本人を語る『日本人にとっての「会社」と「アメリカ」』(対談者:田中滋)や、北朝鮮を大日本帝国の継承者として精神分析する『北朝鮮とは何か』(対談者:三浦雅士)が示唆に満ちていた。特に後者の分析は、北朝鮮をこれまでとは違った視点から一望させてもらった。

岸田は、人間が、自我というものを持っているかぎり、個人のアイデンティティが必要であり、アイデンティティには根拠が必要であるという。個人のアイデンティティは、つねに集団的なアイデンティティに支えられることを必要とする。そして、今のところ個人のアイデンティティの根拠としては、国家や民族に代わる適当なものがない。

私にとっても、個人のアイデンティティの基盤となる国家や民族と言う問題は、今後じっくり検討して行く必要のある重大な課題だと思っている。私自身の中に「日本人としての私」というアイデンティティから発する感情、劣等感や優越感が根深く存在している。そして自我からの開放、その過程としての心理的成長は、個人のアイデンティティの基盤としての、国家意識や民族意識から開放とも深く関係しているのだ。つまり、私自身の最大の関心事である心理的成長とその理論からしても、個人のアイデンティティとその根拠としての集団的アイデンティティとの関係は、無視できない大きな問いだ。

問題は、ここに現代の国家相互の軋轢や、戦争や、民族紛争などのもっとも深い根っこがあるらしいということだ。現在、世界にうずまく現実的な問題も、かなり大きく個人と集団のアイデンティティの問題にからんでいるのではないか。だからこそ、個人の心理の問題と国家相互の関係の問題が、たんなる比喩以上の類似性をもって語ることができるのだろう。それゆえ私にとっては、以前からの関心事である心理的成長という観点からも、国家や民族相互の対立という観点からも、このテーマに深い関心を寄せざるを得ない。

ヒトラーのナチス・ドイツについての優れた研究は、マルクス主義とフロイディズムの双方に影響を受けた人々のものが多いという。アドルノ、ホルクハイマー、フロム、マルクーゼらで、彼らは精神構造にまで踏み込んで、フロイド的な分析方法をとっている。つまり、フロイド的な方法は、社会心理の分析においてもきわめて有効なのである。その意味でもわれわれは、岸田秀の仕事をもっと評価して、それを深めるなり、実証的に基礎付けるなり、発展させるなりしていくことが必要と思われる。

私自身は、自我と国家、自我と民族という関係からも、岸田秀の分析を参考にして考えていきたい。自我の成立にとって国家や民族という集団アイデンティティは、どのような役割を果たすかという問題だ。こうした関心にからませながら、たとえば岸田の北朝鮮の分析も読んでいこう。

劣等感を感じる人間は、権威をほしがる。ユダヤ人は、エジプトなどで奴隷として差別されたがゆえに、一神教をつくり、その神に支えられた絶大な権威をもつ家父長制を作った。岸田によれば、大日本帝国も朝鮮民主主義人民共和国も、根深い劣等感から、家父長制的な超国家主義の体制を作り上げたのである。

もし岸田のいうように、個人のアイデンティティは、つねに集団的なアイデンティティに支えられることを必要とするなら、集団として体験した劣等感は、個人の劣等感に色濃く反映される。たとえば、アメリカにより強制的に開国を迫られたことの集団としての劣等感は、個々人の劣等感に反映され、私たち一人一人のなかに欧米コンプレックスが巣食うことになる。それを跳ね返すために個々人が、依拠すべき権威を欲し、その心理に乗じて超国家主義的な体制が出来上がる。大雑把にいって、そんな相互関係がはたらいているのだろう。

ここで、ジョーゼフ・キャンベル+ビル・モイヤーズの『神話の力』(早川書房、1992年)を参考にしならが唯幻論と精神世界というテーマを探ってみよう。 キャンベルは、神話学を「ひとつの偉大な物語」の研究だという。私たちはみな、 存在のひとつの基盤から生まれて、時間という場に現れている。時間という場は、超時間的な基盤の上で演じられる一種の影絵芝居だ。私たちは影の場で芝居を演じる。「ひとつの偉大な物語」とは、そのドラマにおいて自分の位置を見出す努力のことだ。

ここでいう「存在のひとつの基盤」は、私たちのいう「精神世界」に重なるものと考えてよいだろう。精神世界は、私たちの存在の「超時間的な基盤」なのである。私たちが「現実」と呼び、私たちの人生と理解するものは、「超時間的な基盤の上で演じられる一種の影絵芝居」、すなわち幻影なのである。岸田は、幻のみがある(=「唯幻論」)と考えるだろうが、「幻」という概念自体が、幻でないものを想定している。私たちが「精神世界」と呼ぶ現象のなかには、次元こそ様々であろうが、所詮は「幻」の一種にすぎないものも多いだろ言う。

しかし、キャンベルの次のような主張をどう捉えるべきだろうか。

誰でも、自分でそう思い込んでいる〈自分〉以上の存在であり、自分についての観念には含まれない次元と自己実現の可能性がある。生は、いま自分で見ているより はるかに深く、はるかに広い。いま生きている生は、それに深さを与えているもののうち、ほんのわずかな影に過ぎない。わたしたちは、その深みのおかげで生きられるのだ。あらゆる宗教は、その深みについて語っている。神話もまたその深みに触れている。この世界という偉大な交響曲に対して、それと調和し、肉体のハーモニーを世界のハーモニーに同調させるためにこそ、神話が生まれたのだ。

私たちが見ているよりもはるかに深くて広い、生の基盤。それに比べれば、私たちの生は影にすぎない。私たちのいう「精神世界」は、その深みに関係している。宗教もその深みに触れている。幻とは、その深みに対して「幻」なのだ。だから、「唯」幻論と言ってしまっては、その深みへの視点を失うことになる。そこに岸田「唯幻論」の限界があるであろう。



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