【書評】伊藤清『確率論と私』講談社ブルーバックス
エッセイで取上げられている話題は数学だけに留まらず科学全般に渡り、さらには著者の教育論や哲学・思想的なものにまで及びます。数学・科学の高等教育(高校~大学院)に携わる方々が読めば参考になる記述も散見されると思います。
博士の数学観をウンチクするのは恐縮ですが、個人的に感じた著者の数学観の一旦を紹介しますと、数学には「科学的側面」と「芸術的側面」があり、両者は互いに必要で不可分、片方だけの視点に拘泥すると数学の学問的発展は滞るということになると思います。
ここでいう「科学的側面」とは、いわゆる工学的に利用される側面としての数学、すなわち実学からの側面になります。一方、「芸術的側面」とは、例え理論構築する切っ掛けが実学だったとしてもひとたび理論体系が完成すると、現実から遊離して脳内でのみ存在する仮想空間で理論を展開する側面が数学にはあります。この現実から遊離した世界での抽象論、形式論等が「芸術的側面」となります。そして両者が相互必要かつ不可分というのは、実学から新理論となりうる数学の素材を求める視点・抽象論形式論の発展から実学への還元が起こりうるからです。
代表的な実例を引用すれば、物理学は「科学的側面」としての数学を代表するものでありうるし、2000年来の歴史をもつ幾何学の「無限に広がる平面」などという概念は現実を遊離して脳内で設定しうる概念の代表例ではないでしょうか。尚、個人的な想像ですが、「芸術的」と表現されるのはその仮想空間でスッキリとした理論体系の完成度に芸術性を見出すからに他ならないからだと考えます。
最後に、ネット等で著者の事を検索すると、しばしば「金融工学」の父 等と紹介される文面に出くわしますが、本書で著者が「金融工学」に伊藤理論(確率微分方程式)が利用されている事実を知った時の感想が述べられています。
「私が想像もしなかった「金融の世界」において「伊藤理論が使われることが常識化した」という報せをうけたときには、喜びより。むしろ大きな不安に捉えられました。」(本書p135より)
この不安はどうやら、「経済」の中の「金融」という局所で”経済戦争”を戦うために利用されている(特に若手数学者が、数学界から離れ経済方面で活躍する事実)事実を鑑み、もっと大所高所からの数学を思惟する著者の立場からの懸念であるように感じます。
本書巻末には確率微分方程式の誕生に関する経緯を数学的に記述した部分も納められています。
確率微分方程式を本格的に学びたい、入門の手がかりとしたい方には方向違いの内容ではありますが、生みの親である著者自身のエッセイ集であり、著者の数学観や教育・哲学・思想的なものに触れてみたい方にはお勧めできる一冊です。
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